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この料理教室ではみんなで美味しい一品作るというよりも、
味の構築の仕方をみんなで考えていきたいと思います。
(中略)
ぼく自身が、どうやって味を構築していくのかと、あえて言葉にして説明してみると、「空間を埋めて行く」という表現が近いかもしれません。立方体の空っぽの箱を思い浮かべてみてください。そこに何をつかってスペースを埋めていったら、中身の詰まった手応えのある魅力的なキューブになるのかと考えます。スカスカすぎると、軽くて何となく物足りない。ずっしり重すぎても、心地よくありません。
(ささたくやくんのサイトより)
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お話を聞いて(これはリアル)、想像の翼をひろげて3時のおやつを食べて、お料理をしました。 花子とアンのはなのように。
とっても丁寧に五感を働かせて、途中水を飲んで味覚をリセットしてみたり(これも想像)。
そして料理教室の最後は実際に食事をいただく時間です。
私たちが頭の中で作り、みんなでシェアしてさらに美味しくなった(であろう)料理が目の前に。
みんなの頭の中から飛び出たものに、たくやくんのサプライズが見え隠れ。
すごい!たのしい!おいしい!!!!!!!!って言葉で埋め尽くされた。
この教室に参加して、今まで自分がどうやってキューブを埋めていたのかを確認できたし、もっと他の要素を入れることで楽しくなることも実感できた。
そういえば、自分ひとりでご飯を食べる時はこんな風に考えています。
「お腹空いたしなんか食べよか」
「何が食べたい?」
「暑いしごはんより麺の方がええかな」
「パスタって気分でもないしな~」
「どっか美味しい冷やし中華の店あったっけ?」
「韓国冷麺の食感はどうやろ?」
「普通にうどんってのは?」
「ん~、うどんな気分ではない。何かが足りない」
「ちょっと待って。坦々麺とかでガーって汗かくってのは?」
「そうそう、今欲しいのはその感覚。それいこか」
というような会話を頭の中で自分と一瞬で。
きっとみんながなんとな〜くやっている会話ですね。
単に食べることに対して欲どうしいだけですが、これもある意味、自分を満たすためのキューブを埋める作業。
この工程が杜撰だと、食べ終わった後で他のものが欲しくなります。
「これを食べた後でどんな状態になっていたいか?」ってことをよくよく考えます。
例えば重ね煮をするときも、そんな風にお鍋の中に入り込むことも。
単に食べることに対して欲どうしいだけですが、これもある意味、自分を満たすためのキューブを埋める作業。
この工程が杜撰だと、食べ終わった後で他のものが欲しくなります。
「これを食べた後でどんな状態になっていたいか?」ってことをよくよく考えます。
例えば重ね煮をするときも、そんな風にお鍋の中に入り込むことも。
想像して創造する。
お勉強として学んだことは私の財産だけど、こういう感覚も大切にしたいです。
この日いただいたお料理にはコリアンダーの種(生)が入っていました。
ちょうど我が家の庭のコリアンダーにも種がつき始めたところです。
「これを植えて芽吹いたら、わっさーってコリアンダーの葉っぱが食べられるのに、今この状態で食べることの贅沢さ」
「かといって、この種を全部撒いたらえらいことになるから、”食べられる”環境にある贅沢さに感謝感謝」
なんて、コリアンダーの種一粒にも思いを馳せる作業は案外体力を消耗したらしく、帰りの電車はぐったりでした。
ちなみにコリアンダーのお花や種はこんな感じです。
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