国境なき料理団の本道佳子先生の料理教室に参加しました。開催の経緯など何も知らずに申し込んでみたものの、行ってびっくり。高校生が主体となって開催されていました。
使った食材たち |
いつも保健室で湯島食堂の料理本を読んでいる女子高生のことを聞いた本道先生が「その子に会いたい!」と思って実現した会です(ざっくり説明)。準備や運営などは高校生たちが主体となって行い、保健室の先生はアシスタント。それは会場での高校生たちの動きをみても分かります。
すばらしいね。
自分の高校生時代、そんな先生いなかったな。
そうじゃなくて、いたかもしれないけど自分自身がそういうのをする子じゃなかったな。
大人向けの会ではこんな話あんまりしないんだけど・・・って言いながら本道先生がお話してくれたこと。
『人は自分が食べたもので身体ができている。そして自分の想いで未来がつくられる。だから自分が“決める”ことが大切なんだよ』てこと。
またきたか。
そんな話を耳にし始めた時はピンとこなくて、
そういうのってとってもアグレッシブに生きている人たちの話だと思ってました。
でもいろんな人がいろんな場面で、いろんな言葉で語るのを聞いていると、そして周りの友人たちをみていると、自分にもあてはまることがあるってことに気付きだす。
鼻息荒く想いを語ったり派手に行動を起こしたりしていなくても、何かを「する」という選択をしたってことは、それ以外の選択肢を「しない」という選択をしたこと。何も「しない」というのも自分が「しない」という選択したってこと。その連続が自分という人間を形造る。
進路の選択のような大きな選択以外にも、たとえば駅まで通る道、電車に乗る車両、電車やバスで座るか立つか、おやつを食べるか食べないか、髪を切るのか伸ばすのか、メールにするか電話するか、ごめんなさいって言うかそっぽを向くか・・・そんな日々の選択さえも、積み重なって自分という人間を形造る。
食べたもので身体の調子が変わるのは実感している。そして自分のココロも変わることも。ならば身体を整えるというのは自分の未来を整えることか。やはり「食べる」という行為に関する選択はとても大事。
そして身体はココロの声を聞こうとしているらしい。自分の選択が自分の身体を強くもし、弱くもする。
自分の身に起こったことや社会で起こっていることを「●●のせい」にしてしまうのは楽チン。でも自分に“被害者ヅラ”をさせているのも自分の選択。ならばそんな時間は超特急で駆け抜けて、その状況を調理して「●●のおかげで」と言える選択をしてみようか。
お話を聞きながら、そんなことをぐるぐるぐるぐる考えていました。
本道先生のお話、大人たちは大きく頷いて聞いてました。ある程度生きていれば少なからず思い当たることであり、だからこそ、なお話。
学生さんたちはどう思ったかな。彼らはこれからどんな選択をしていくのだろう。興味津々。
最後に少しお話させていただいて。
私も一瞬一瞬の選択力をあげていきたいなぁ。
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